宇都宮氏の歴史展PDF
文治元年(1185)、源義経一派追討のため、九州へ派遣された“宇都宮信房”はこれを見事成功させ、その功績により建久3年(1192)、源頼朝から豊前国衙の田所職・税所職などを得ました。平家方の板井種遠の跡地である伝法寺荘などの領地を得た信房は豊前国府に近い木井馬場(京都郡みやこ町)を本拠としました。
南北朝時代になると宇都宮頼房は本拠地を現在の築上町本庄に移し、菩提寺“天徳寺”を建立し、この頃から土着化して“城井氏”を名乗るようになりました。
14世紀代の“通房”“頼房”冬綱“”の時代は鎌倉幕府執権の北条得宗家と結びつき勢力を広げ、一時的ではありますが筑後国・豊前国守護に任命され、豊前最大の武士団となりました。その後、応安7年(1374)の宇都宮冬綱の城井高畑城での挙兵・敗北を転換点に山口の大内氏が豊前国守護に任命され、以後、山口の大内氏と豊後の大友氏の巨大勢力に挟まれながらも、400年に渡ってこの地域を支配してきました。
戦国時代になり天下人“豊臣秀吉”の命令により豊前国に進駐してきた黒田氏と一旦は和睦しましたが、天正16年(1588)4月20日、中津城内において宇都宮鎮房が謀殺され、嫡男“朝房”も従軍先の肥後玉名で殺害され、豊前宇都宮氏400年の歴史は幕を閉じました。
今回の展示はその豊前宇都宮氏が歩んだ足跡を文書資料や絵図・発掘された埋蔵文化財から辿るものです。
■ 会 場 船迫窯跡公園体験学習館(築上町大字船迫)電話0930-52-3771
■ 月曜日休館・入場無料