まつり・伝統芸能・信仰 信仰

山の信仰

修験道と山の信仰

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飯盛山東光寺(寒田)

養老年間、求菩提山護国寺を開いた行善和尚の開基。のち頼厳上人とともに国宝銅板経を勧進した勢実和尚が康治元年(1142)に東光寺と飯盛山大権現を開きました。求菩提六峰の一つ。上宮、中宮があり、周辺に窟が散在します。山麓の水田の発掘調査でこの東光寺の一部と思われる大型建物跡が検出されました。地元には求菩提山千日行成就者の修札が多数残されています。

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鬼塚(湊)

現在は干拓地になっていますが、それまでは満潮時には浮き島となり、干潮時には砂州が現れ陸続きとなっていました。昔は「魂塚」「鬼塚」といわれ、行善和尚はここで白山大権現が現れ、その言葉により求菩提山を開いたといわれています。伝説では犬ヶ岳の鬼を卜仙が退治した時、鬼の胴は犬ヶ岳に、手足を明神の浜に、頭をここ鬼ヶ州(おにがしま)に埋めたといわれています。

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妙見宮葛城神社(奈古)

妙見宮葛城神社は奈古、岩丸、水原の産土神で、初め岩丸の葛城山天降の峯(小川ダム東側の山頂)に九曜の星(妙見星)御遷座により創建されました。天正19年(1591)焼失により、奈古の地に移り、その後宝暦(1751~1763)の頃社殿を現在地に造営したようです。

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法泉寺の薬師如来坐像(岩丸)

ほぼ等身大の坐像は廃寺となった旧法蓮寺の本尊で、平安時代後期の名品です。桧の一木造で頭部と体部を彫り出して、内刳(うちぐり)を施しています。背板内側に元禄6年に椎田村の和泉屋と岩丸の衆徒が京仏師に依頼し修理したと葛城山法蓮寺沙門紀宗が記述しています。

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