綱敷天満宮 (つなしきてんまんぐう)
綱敷天満宮(高塚)(元県社)
菅原道真が藤原時平の讒言により大宰権帥に降格され、昌泰4年(901)、京都から大宰府に配流の折に船が難破し、ここ高塚の浜に漂着しました。この時地元の人たちが船の綱を円座に敷いて迎えたという故事により、天暦9年(955)、国府の命によって社殿が造営され綱敷天満宮といわれるようになりました。江戸時代には小倉藩主小笠原氏の保護を受け、宝剣、太刀や連歌、また県指定文化財の「西山宗因筆連歌懐紙」「小笠原家奉納和歌集」などが奉納されています。
祭事、文化財
社殿周辺には菅公にちなんで約1000本の様々な種類の梅が植樹され、毎年梅まつりで賑わいます。また夏の夏越祭には茅の輪くぐりや高塚楽(町指定民俗文化財)が行われます。高塚楽は五穀豊穣と雨乞い祈願に舞う芸能で、安政2年(1855)『高塚村御楽鉦歌控』には「南無阿弥陀仏」の記述があり、念仏踊にも由来するとも思われます。
綱敷天満宮から約2㎞南の高台(椎田勝山線の南側)の天神原は周防灘が一望できる高台で、大宰府へ向かう古代官道も近くを通り、道真がここで休憩したと伝えられ、かつて菅原神社が建立された。のちに金富神社に合祀され、明治42年、その跡地に石碑が建立された。現在も湊地区で命日の2月25日に天神祭が行われている。
祭事 例祭(9月) 初天神祭 神幸祭 夏越祭 新嘗祭
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綱敷天満宮
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