ゆかりの地
不老山正光寺と岩戸見神社
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不老山正光寺と岩戸見神社(伝法寺)
宇都宮信房は下野国から持仏の文殊菩薩を勧進し正光寺を開きました。文殊菩薩は檜材の寄木造りで、農耕牛を思わせる力強い獅子に座しています。文殊菩薩は仏教のあらゆる教えを説く仏として、智恵をつかさどる菩薩と言われ、右手には智剣を左手に経巻をいただいています。文殊信仰は奈良西大寺律宗の影響が強いといわれ、信房は晩年律宗に帰依しています。文殊菩薩は年に一度2月25日と26日にご開帳されます。9月には白い彼岸花が境内に咲きます。また信房は下野国より二荒大明神を招来しここに岩戸見神社を祀りました。
つなぎ馬の絵馬(岩戸見神社)
絵馬の馬が逃げ出して田畑を荒らすので求菩提の山伏に祈祷してもらい、つなぐ綱と餌の草を描き足してもらったと伝えられています。岩戸見神社では以来この絵馬を祭神として12月初午の日に午まつりが行われています。元和5年(1619)の作で県内最古の神馬図の絵馬です。
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勝間田彦六左衛門重晴の碑(岩丸)、大野小弁正重の碑(岩丸)
天正15年(1587)10月、第一次城井谷合戦で黒田側は寒田攻めを開始します。城井谷を正面からではなく、広幡城を攻略してからそのまま岩丸の尾根を攻めました。この尾根道の突き当たりが小山田城。黒田側の先手は大野小弁正重、二番手は勝間田彦六左衛門重晴が務めたが、二人とも城井側の塩田内記、新貝荒五郎に討ち取られ、岩丸の山中にそれぞれ墓所が残っています。また二人の首のほか800余りを黒岩越(櫟原)にかけ連ね、今も首塚と伝えられます。そして長政は敗戦となり馬ヶ岳城に退去しました。
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