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藏内家の歴史

藏内家の炭鉱経営

藏内鉱業の主要炭鉱である峰地一坑遠景(大正時代)(写真中央は添田駅)

 藏内家は中世の豊前国を治めた宇都宮氏(城井氏)の家臣といわれ、宇都宮氏滅亡後はここ深野村で帰農しました。旧藏内邸に隣接する貴船神社の燈籠に享保6年(1721)藏内彌治兵衛、明和7年(1770)の鳥居には藏内治郎兵衛の名があり、地元の資産家の一族でした。

 藏内次郎作は明治18年、いちはやく炭坑に着手していた同族の久良知重敏、政市親子と養子の保房を頼り、田川郡後藤寺「崩レ」の炭坑の採掘を始めました。その後、峰地坑(添田町)、大峰坑(大任町・川崎町)、足立坑(小倉北区富野)、京殿坑(水巻町古賀)など規模を拡大し、大正5年、藏内鉱業株式会社を設立し、保房が社長に就任しました。大正8年には全国6位の産出高をあげ、その繁栄を極めましが、保房は邸宅落成の大正10年に59歳で、次郎作は翌々年77歳で亡くなり、その後は長男の次郎兵衛社長と次男の正次を中心に会社を経営しました。

 さて藏内、久良知家の鉱業経営は明治16年(1883)頃からの炭鉱経営が主力でしたが、実は大正時代には既に、錫を主力とした尾平鉱山(大分県緒方町)や大串金山(長崎県)などに規模を拡大していました。そして昭和14年には峰地・大峰炭鉱を古河合名会社へ譲渡し、会社を解散し、炭鉱から金属鉱業「藏内尾平鉱業所」へと大転換しました。しかし戦後の恐慌などで昭和34年(1959)の尾平鉱山の閉山し、約75年間続いた「藏内鉱業」の歴史は幕を閉じました。

  藏内次郎作は明治41年から5期にわたり衆議院議員を務め、大正4年には小倉鉄道(現在の日田彦山線)の敷設、城井神社(中津城内)の再建、また保房は田川中学、築上中学の創設、宇島鉄道開通など公共事業に力を注ぎ、次郎兵衛は高崎山(大分市)に万寿寺別院のため土地7万坪を寄進するなど地域に貢献しました。

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  • 藏内次郎作(祖父)

    藏内次郎作(祖父)

  • 藏内 正次(二男)

    藏内 正次(二男)

  • 藏内次郎兵衛(長男)

    藏内次郎兵衛(長男)

  • 藏内 保房(父)

    藏内 保房(父)

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