史跡散歩ガイド 旧藏内邸

施設の紹介

国指定名勝 旧藏内邸

■平成27年3月10日指定 屋敷地 7,200㎡ (延床面積 1,250㎡ )

■平成29年2月9日追加指定 貴船神社・参道・銅像広場 6,562㎡

日本の近代産業を支えた筑豊の炭鉱。炭鉱主の大邸宅は麻生本家、旧伊藤傳右衛門邸(飯塚市)、貝島嘉蔵邸(現福岡市)・旧貝島六太郎邸(宮若市)、旧安川敬一郎・松本健次郎邸(北九州市)、旧堀三太郎邸(直方市)、旧高取伊好邸(唐津市)などが現存しています。

旧藏内邸は明治39年頃に庭園と主屋、応接間棟が建てられ、大正時代には全国第6位の石炭産出高をほこった藏内鉱業株式会社社長の藏内保房が、一族の繁栄の証として大正5年から大正9年にかけて邸宅を大増築し、同時に貴船神社、参道、銅像広場など周辺を一体的に整備しました。鳥居から始まる導入路の参道石垣や石橋から塀、庭石や石造物、そして銅像広場の石垣にも地元の花崗岩が使われ、全体が近代的な優れた造形、意匠、工法でまとめられ、現在も周辺の景観とともに当時の状態をよく残しており、近代の建築、庭園として極めて重要な歴史遺産です。

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旧藏内家住宅(福岡県指定建造物)

邸宅は大胆な屋根構成の12畳間の大玄関や18畳2室続きの大広間、10畳2室続きの座敷、煎茶の茶室が池庭に面してたくみに配置され、豪華な浴室や脱衣場を備え、接客を重視した構成となっています。柱や床板には台湾檜を、また屋久杉をふんだんに使った畳廊下の弓形天井や格天井など意匠を凝らした造りは目を見張ります。大正期増築の大工棟梁は山田村四郎丸(豊前市)の中江九壽、庭師は浦野弥平(行橋市)、石工は長野熊太郎です。当時の地方棟梁や職人の高い技量がうかがえます。

旧藏内氏庭園(国指定名勝)

庭園は大増築する以前の明治39年頃に、応接間からの観賞を主眼として作られた池泉庭園で、池の水は農業用水路から引き込み、敷地内を地下水路で巡らせて池に注がれています。池は深く、石組の護岸には突出する景石(鶴首石と亀頭石)と、北側に荒々しい二つの枯滝石組を並列させて、主庭の最も重要な景となっています。藏内氏は大正時代の増築の際に、当初の庭園の視点場であった応接間に加え、大きな池を中心に配した庭園の多彩な景色を楽しむことができるように茶室や座敷、大広間を雁行形に配置しました。また様々な意匠の三つの中庭や枯流れ、降蹲踞なども増設しました。これら建築と作庭の様式には煎茶文化の影響が随所に見られます。

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みどころ

繊細な欄間、襖の引手、特注の照明や竹を模した雨樋など細部に至るまで手の込んだ細工が施され、各部屋の繊細な細工の欄間は見事です。また仏間の壁紙には金唐革紙という西洋の装飾革工芸を和紙で摸した貴重な壁紙が使われています。

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