街並みと古写真
湊の街並み(現在)
中津街道沿いの湊はかつて廻船業や酒造業、魚屋など商人の町として栄えました。現在は店舗はありませんが江戸時代から明治・大正時代の町家の古民家が約10棟残っています。酒屋のレンガ煙突、漆喰の鉄格子窓や建具の格子、馬をつなぐ環金具など古い町並みが散策できます。
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商家の裏の船着き場(湊)
奥の右手が御蔵所です。船着き場には木造帆船「長栄丸」の下ン浜屋(酒造業)、蛭崎屋(酒造業)、真如寺河口には「長寿丸」の長寿屋(醤油醸造)、「金剛丸」の藤田屋(廻船問屋)などがあり、大型船を所有していました。
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郡屋(現延塚記念館)から見た中津街道
郡屋(築城郡役所)周辺には岩田屋札を発行した豪商「岩田屋」や大名や藩役人が宿泊休憩した御茶屋の「四日市屋」などがありました。郡屋は後に湊(現椎田小学校)に移転しました。
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石堂~福間~上ノ河内の中津街道
この区間は海岸の入江が深く、福間の峯にせまる崖所のため街道は丘陵を上ります。丘陵の上には海の神様、綿津見の娘、豊玉姫を祀る海神社があり、周防灘が一望できる名所でした。
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西角田漁港と石灯籠(昭和6年竣工)
中津街道の有安の横浜から海岸に進むと港の竣工記念に建てられた大きな灯籠があります。「静波」の揮毫は海軍大将山本英輔です。
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椎田小学校前の真如寺川沿道(1990年頃)
正面の街並みは現在はありませんが、古くは大型木造船「金剛丸」を所有した廻船問屋の藤田屋などがありました。また橋の手前左には椎田銀行(日田屋:酒造業)がありました。
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石堂の松並木(昭和53年頃)
国道10号線と並行する街道沿いの松並木は根上りの松として有名でしたが現在は枯死し消滅しました。
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干拓前の福間海岸と中津街道(昭和30年頃)
建物の後ろの松並木が中津街道(右は中津へ至る)です。
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中津街道(左)と国道10号線(天神交差点付近)
国道の開通(昭和10年)で「かどや食堂」(豪商尾崎屋跡)の屋根の一部が切り取られました。
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西町の中津街道(昭和30年代)
神幸祭の準備の様子です。左は「きどや」、右は「内丸ラジオ店」、前方奥の左が郡役所(延塚記念館)です。
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湊の街並み(大正~昭和初期)
写真左の裏手が船着場、洋風建物は石川病院(塙家跡)です。塙家は幕末には酒造業「塩屋」で知られましたが、湊の名士で江戸時代から連歌や学問などをたしなむ文人の家でした。
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椎田町大洪水 大正12年(1923)嘯月庵雲僲
中津街道と天神通の交差点付近を描いています。左から豪商尾崎屋、大鳥居、薬問屋榎屋、右は呉服商榎屋、手前は中津屋と思われます。
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