ようこそ築上町 ようこそ築上町

ようこそ築上町

築上町の歴史

築上町は福岡県東部に位置し、北は行橋市、東は豊前市、西はみやこ町、南は大分県中津市山国町とそれぞれ接した人口約17,299人(令和4年3月末現在)の町です。

築上町全域は古代より築城郡に属します。築城「ツイキ」という名称が初めて史書に現れるのは、『続日本記』天平12年(740)藤原広嗣の乱の箇所に「築城郡擬少領大初位上佐伯豊石が兵七十人を連れ官軍に帰順し」と築城郡名と郡司の佐伯氏の名が見られます。また935年頃に編纂された『和名類聚抄』には「築城郡内、綾幡、桑田、樢木、大野の四郷」と古代の郷名が見られます。樢木は「チョウキ・チウキ」が「ツイキ」に音変したと思われます。また927年の『延喜式』には「築城駅家」と古代の駅が確認されています。正倉院に現存する大宝2年(702)の『豊前国戸籍断簡』では約93%の人が韓国渡来の秦氏の支配下にある勝(村主:スグリ)の中に組み込まれ、仲津郡に狭度勝が確認できます。この狭度(サワタ)は築上町寒田に比定されています。古代は宇佐宮領が多く、金富神社は矢幡と呼ばれ原始八幡信仰の故知といわれます。また本庄の大楠では古代より宇佐宮の式年遷宮の御杣始祭が行われていました。平安時代は大蔵一族の板井氏の支配が強まり、鎌倉幕府成立後は関東御家人宇都宮氏の支配となりました。江戸時代は黒田氏→細川氏→小笠原氏の小倉藩に組み込まれ、慶応2年(1866)、小笠原藩は長州軍に攻められて城を焼き、藩庁を香春に、次いで豊津に置きました。明治2年(1869)版籍奉還、明治新政により豊津県となり、明治4年廃藩置県、新たに小倉県となり、区村制が布かれました。明治9年(1876)福岡県が発足し、明治22年(1889)市町村制により築城郡には八津田村・椎田村(明治31年町制施行で椎田町)・葛城村・西角田村・上城井村・下城井村・築城村の7ケ村が発足、明治29年(1896)には上毛郡と築城郡が合併し築上郡となりました。そして昭和30年(1955)に昭和の大合併で椎田町(椎田町・八津田村・葛城村・西角田村)と築城町(上城井村・下城井村・築城村)が誕生しました。平成18年1月10日椎田町と築城町が合併して築上町が誕生しました。

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築上町教育委員会 生涯学習課 文化財保護係

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築上町歴史民俗資料館(木曜日のみ開館)

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築上町役場・築上町教育委員会

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