ようこそ築上町 築上町の自然

築上町の自然と天然記念物

築上町の自然

周防灘を臨む築上町は西の平尾台から大坂山、英彦山、犬ケ岳、経読岳、雁股山、瓦岳、大平山まで連なる山々を背に、町の中央にそびえる国見山(標高637m)から細長い舌状丘陵が八手状に周防灘に向かって幾重にも伸びています。そして西から音無川、城井川、小山田川、岩丸川、極楽寺川、真如寺川、上り松川、石堂川、上ノ河内川が流れ、その谷あいと下流域に集落が広がっています。

浜の宮海岸は砂泥質の遠浅の海が広がり、春には潮干狩り、冬には牡蠣やガザミ(ワタリガニ)・シャコなど豊富な魚介類に恵まれています。海岸線には樹齢300年以上のクロマツ林が続き、「福岡県の自然百選」「せとうち風景30選」にも選ばれています。一方、山間部は耶馬日田英彦山国定公園内にあり、町内最高峰の一の岳(1,124m)付近にはブナ・ミズナラ群落がみられ、城井川上流の寒田の牧の原キャンプ場周辺は「福岡県森林浴百選」に選ばれ、国見山周辺は広葉樹の森の自然公園や龍城院キャンプ場が整備されています。

気候は瀬戸内型気候ですが、冬に雨や雪が多い日本海型気候の影響を受けています。平均気温15度前後、雨量は年平均1,700mm前後と九州で最も少なく、農業は米作を中心に、スイートコーン、イチゴ・レタス・ナシ・菊・自然薯などの地域特産品があります。

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小原不動窟の大ソテツ(福岡県指定天然記念物)と小原岩陰遺跡

ソテツは小原岩陰遺跡の前にあり、株の高さは1mものから、6mを超えるものまで、10数本が株立状に繁茂しています。これまで台風などで倒木し、平成16年に大規模治療をしましたが、一番高い株が枯死状態となっています。各々の幹には分岐株が発生し、子株状のものが数多く着生しています。ソテツは他の樹木に比べて極めて生育が遅いといわれ、1m成長するのに30年近く年数がかかることから、樹齢約200年と推定しています。ソテツは裸子植物ソテツ科で、日本では九州以南から琉球列島の海岸近くの岩場に自生し、宮崎県都井岬のソテツは自生地として特別天然記念物に指定されています。ソテツは桃山時代から異国情緒な植物として大名庭園や寺院に植えられ、近隣では芦屋町千光院、日出町松屋寺のソテツは有名です。鉄分で蘇生するという伝承から茎に釘を打ち込んでいる例があります。種子は有毒ですがデンプンが多く、水でさらし発酵させ乾燥させれば食用になり、飢饉や戦時中に食料としました。

小原岩陰遺跡は全長82m、高さ12m、奥行き6mあり、真如寺川の氾濫で侵食されたと思われ、発掘調査では約5,000年前の縄文時代前期頃からの土器や石器やアサリやハマグリ等の貝類、さらに人骨も出土しました。

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小原不動堂(明剱山光雲寺)

大ソテツに隣接しているお堂で養老年間(713~723)に求菩提山の開山、行善和尚が鬼塚(築上町湊)で一振りの剱を得た時、白山大権現があらわれ衆生済度の妙法を授けられ、山野をわたり歩くうちここ小原の洞窟にたどりつき、すばらしい霊地であることからこの剱をこの地に納め、不動明王を安置したといわれます。またのち延喜年間(901~922)に小原村の住人が求菩提山の知賢和尚に師事し修行したのち、晩年にここに住み不動明王を安置し明剱山光雲寺と称しました。以後光雲寺住職は求菩提山から派遣されたといわれます。周辺には享保年間(1716~1735)の中興の祖、僧月船の一字一石塔や無縫塔などがあります。

芭蕉塚とヤマザクラ(寒田)(町指定史跡・天然記念物)

天明3年(1783)、この地域で俳句を指導していた伊勢和睡が扇会の門弟とともに、ここ寒田の山中で松尾芭蕉の90回忌を供養しました。この時、岩に「妙㳒塔」ほか、芭蕉の句などの文字が刻まれました。

  このもとに 汁も鱠も さくらかな

この句は芭蕉が元禄3年(1690)に伊賀上野の小川風麦亭で詠んだ歌仙40句の発句で、花見の宴の汁にも、なますにも、何もかもに桜の花が散るさまを詠んだ句です。芭蕉塚の周りには6本の山桜(1本は2014年に枯死)の古木があり、この句にちなんで植樹されたと思われます。

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芭蕉塚のヤマザクラ

芭蕉塚のヤマザクラ

芭蕉塚(正面)

芭蕉塚(正面) 下段に扇会18名の俳号が刻まれる。

芭蕉塚(正面右)

芭蕉塚(裏面) 天明三奉扇會願成就 今年九十年於 求菩提に開く扇かな 伊勢和睡九拝

芭蕉塚3

芭蕉塚(右面) 元禄七年十月十二日芭蕉翁桃青居士 このもとに 汁も鱠も さくらかな


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